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利用者ブログ
明日がくることも楽しみに眠りにつく

ぼくは一人で過ごすのが好きだ。というか、集団でいるのが苦手だ。次はどこへ行くとか、何を食べるとか、いつトイレに行くとか、そういうことを自分一人で簡単に決めたいので、他の人といるのが好きではない。

なんでも自由にしたいというのは、すごくわがままな性格なのかもしれない。

もちろん社会生活は長いから、一般的な協調性は身についている。合わせようと思えば合わせられるけど、できるだけ避けたい。一人でいることを寂しいと感じることはない。

パソコンとか、ゲームとか本を、売り場で楽しく見ている時に、みんなに合わせて、自分にとって中途半端なタイミングでやめて、食事なんてしたくない。

好きなだけ見て、満足したらコンビニでサンドイッチでも買って歩きながら食べる、とかで十分。

お店を選んで、人数を伝えて、テーブルについて、メニューを見て選んで、待って食べる、なんて冗長すぎて待っていられない。やりたいことをやりたいのに、すごく不自由だ。

時代もあって、保育園の頃からずっと集団の中に入れられて育ってきた。一人が好きとか、集団に馴染めないということを、具体的に意識して考えたことはなかった。気づかなかった。最近になってASDとかHSPというものがあるのを知って、あ、これかも、と思った。

お昼ごはんを、一人でそこらへんのベンチで食べている時に、同僚に会ったことがあって、なんで会社の休憩室ではなくて、こんなところに一人でいるの? と訊かれて、すごく違和感を感じた。これっておかしなこと?

一人じゃないと休まらない、ということをまだ言語化できていなかった。無意識に、一人でいることが好きだっただけ。

公園のベンチでランチを食べているお兄さん、お姉さんも同じような性質の人たちなのかもね。晴れていて気持ちいいから外に来ているのかと思ってたけど、一番の目的は一人になることなのかも。

恋愛はしてきた。今考えると、恋じゃなくて、依存。
毎日会いたい。何よりも優先する。

交際相手以外の人には興味がない。だから交際期間が10年を超えるのは普通。

なんでだろう、一人が好きなのに、恋だけは例外なのかな。動物としての本能がそうさせるのかな。

良い恋愛の相手って、「一緒にいても、一人でいるかのように自由で、たくさんの人といるかのように楽しい」らしい。ぼくには「たくさんの人といるかのように」という部分があんまりよくわからないけど、恋が楽しいのは確かだった。

そういえば先日、結婚10周年で妻と離婚した。感覚的には卒業。卒婚のような感じ。

息子も含めて、3人で一緒に仲良く笑顔で、区役所に離婚届を提出した。書類や制度に縛られるのをやめた。

今も一緒に暮らしている。なかなか周りの人には理解してもらえない。離婚したら他人だ、と言われる。それこそ制度や思い込みに、洗脳されているんじゃないの?

ずっと楽しく暮らしてきた大切な家族なのに、書類を1枚出しただけで、何でそんなに冷たく突き放さないといけないのだろう。

パートナーではなく、相方でもなく、友達でもない。書類上は違うんだろうけど、家族なのは間違いない。生物学的には息子のパパとママである。関係性に名前をつける必要性を感じてないから、一言で言い表せなくていい。誰にもわかってもらえなくていい。

将来的に、それぞれやりたいことができたら、住む場所を別々にすることもあるかもしれない。

マッキーの曲の歌詞に、「たぶん君と僕とじゃ行けない場所が、二人の行かなきゃいけない場所」というのがあるけど、そんな感じ。

彼女が行くべき場所は、ぼくがこの先、行く場所とは違うところ。でも、そうすることがお互いにとって一番幸せな未来。だから(物理的に)離れるのは自然なこと。

息子は責任を持って育てていく。彼がぼくと彼女を、毒親と呼ぶ日はこないだろう。ずっと最愛のパパとママでいるだろう。自信がある。

息子は今、小学校へほとんど通っていない。一般的にいうと不登校だ。それって家庭環境が・・・とか言いたい人もいるだろうけど、それは見当違いだ。

彼は家が快適で、家族が大好きだ。ただ単純に、学校で時間で縛られて、つまらない授業を聞くのが不快だと言っている。

これに関しても、ぼくらは何も心配していない。彼は親に似て繊細だが、協調性もちゃんと持っている。一人でいることと、仲間と過ごすことのバランスが取れた性格をしている。

不登校という言葉に関しても、一般的なイメージを壊すような方向へ彼を連れて行こうと思っている。「学校へ行っていない社会不適合な子」ではなく、「もう自分の意思でやりたいことができる子」にする。

つまらなくて無意味な暗記はやめさせる。必要になった時に発揮する、知識の吸収力を最大限に活用する。
22時まで塾で勉強して、テストを勝ち抜いて、有名大や大手企業に入るのが彼の幸せだとは考えていない。

むしろそれが良いとされているような社会の方が古くて、おかしいと思っている。今時、ひとつの場所でずっと安定なんてないし、より多くのお金を手に入れることが幸せなわけでもない。

「疲れた小学生」にしたくない。いつも目を輝かせて、元気大爆発の男の子のままにしておきたい。

変化に適応して、状況に応じてたくましく人生を切り開いていける子にする。

彼の周りに、さまざまな物、情報、機会を置いておく。興味のあるものは手に取るだろう。押し付けるのではなく、本人の判断に任せる。

つまらなくて放り出すかもしれないし、のめり込むかもしれない。さあ、彼は何を選ぶだろう。

たとえば、既にサッカーは放り出したが、アイススケートは熱心にやっている。

息子は「学生」ではない。やり方によってはもう稼げる。

「学生」だからまだ早い、ここまででいい、なんてのはやめて、学校、地域、国、世界などのエリアの概念を脱出して、好きなところで好きなことをしたらいい。自然と必要な知識は身につくだろう。

ほとんど忘れてしまう学校での長年の座学なんてやらなくていい。ぼくは全力でサポートする。

そもそも「勉強は学生のみが学生時代にやるもの」ではない。大人だって、好奇心に任せて常に学びながら進むものだ。

毎日ワクワクして、明日がくることも楽しみにしながら眠りについている。

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関 宏貴

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長野県生まれ。ベストライフなんば利用者。 地球を冒険してから、京大、Appleなどで働き、ベストライフに辿り着く。 うつ病、強迫性障害、てんかん、ASD、HSP。ささやかでシンプルな生活を好む。 ベストライフで書いた著作に「HSPさんが自分の魅力に気づくための15のヒント」がある。