
手に入れたものを手放すのは、時には本当にむずかしいものだ。気に入っている服や本、思い出の詰まった物だったり、ストレスなく過ごせる立場だったり、時間をかけて築き上げてきた人間関係やスキルだったり。「障がい」という状態についても同じように感じる部分がある。
障がいを持って生きることは、とても大変だ。日々の生活で不便を感じることも多いし、ほんとに苦しさや悔しさを感じる。だけど同時に、この状態だからこそ手に入れられたものもあるのではないか。
例えば障がい者手帳があることで、障がい年金や自立支援医療を受けられたり、障がい者雇用で仕事を続けられたり、就労継続支援のサービスを利用できたりする。
交通機関の運賃が割引になるし、映画館ではいつでも安く映画が観られる。
美術館や博物館など無料で入れる施設も多いし、電車やバスで席を譲ってもらえることもある。社会保険や税金の軽減なども含めれば、その恩恵はたくさんある。
先日、AIにこの気持ちについて話してみたところ、精神疾患や障がいを持つ人の中には、長期間苦しい状態が続くことで、
「私は病気だからできなくて当たり前」
「周りが配慮してくれるべき」
「寛解したらいろいろ大変になるから、このままでいい」
といった心理になることがあるらしい。これを心理学では「二次的利得」と呼ぶのだそうだ。
病気や障がいがあることで、本来はつらく不自由なはずなのに、周りが優しくしてくれる、厳しい責任や環境から逃れられる、働かなくてすむ、といった「副次的なメリット」が発生することがあるという。
しかもこれは、本人が意図的に得ようとしているわけではなく、無意識のレベルで強化されてしまう場合が多いらしい。
もちろん、病気や障がいがあることは甘えではないし、誰も好きでそうなるわけではない。ただ、その状態によって得られる利得があることで、寛解することに恐怖を感じてしまう人もいるのではないかと想像する。
寛解したら、今まで免除されてきた責任を背負わなければならない。これまで「仕方ない」と許されてきたことが、「普通なのだからやるべき」と見なされるようになる。その恐怖心は、想像以上に深く重い。
甘えているだけなのか、つらいから仕方ないのか、という判断は本当に難しいと思う。そもそも人によって、どういったことがどこまで甘えなのかという基準が異なる。本当に、どうしようもない窮地に陥って悩んでいる人もたくさんいる。
ぼくは、個人的には働かないという選択肢はなくて(7歳の息子を育てていて、生活費がいる)、割り引きしてもらうより、障がいがなくなる方がうれしい。この病気でいることが、とても苦しいから。
どちらにせよ、今の自分を責めすぎずに受け止めること。そして、この先どうありたいかを静かに自分に問い続けることが大切なんじゃないかと思う。そんなことを、今日もまた考えている。

関 宏貴

長野県生まれ。ベストライフなんば利用者。 地球を冒険してから、京大、Appleなどで働き、ベストライフに辿り着く。 うつ病、強迫性障害、てんかん、ASD、HSP。ささやかでシンプルな生活を好む。 ベストライフで書いた著作に「HSPさんが自分の魅力に気づくための15のヒント」がある。