
個人的なことはあえて徹底して書かないできたけど(そう、ぼくはいつもふんわりしたことを、抽象的に書いて、はぐらかしている)たまにはいいかな。
ASDとしての特性なのか、ぼくには変なこだわりが表れる時がある。そして、その対象は変わっていく。
何かを購入するときは、同じブランドで統一しないと気持ち悪かったりする。
0か100なので、こだわっているものをやめるのであれば、今度は違うものに関心を全振りする。
例えばゲームだと、任天堂Switchを買うのか、ソニーPlayStationを買うのかに分かれる。
落ち着いて考えると、両方やればいいんだけれど、ただそれだけのことなのだけれど、そんなにたくさんやるの無理じゃんって考えてしまうし、ごちゃごちゃは気持ち悪い。
じゃあ、Switchにしたとしよう。周辺機器は全部純正にしたくなる。
視野を広げれば、もっと安くて優れたものが出ているにもかかわらず、それらはそもそも選択肢に入らない。任天堂ライセンス製品もダメ。
でも任天堂はテレビを作っていないので、テレビは、仕方ないから他のメーカーでも良い。純正で発売されていないものは、なんとか妥協できる。ないものはないのだ。
ゲームソフトも基本、任天堂が作ったゲームしか買わない(最近はその制限が緩くなってきた。スクウェア・エニックスとかは大丈夫になってきた)
なぜ緩くなってきたかというと、情報が公開され、多様性が見えるようになってきたことを、理解できたからだ。
ブランドというものは幻想である。集団に名前をつけても、集団の構成員は変化する。
プレステ用のゲームを作っていたチームが、新しく作ったゲームを任天堂名義で発売したりする。OEMのようなものだ。
Apple製品のApple純正プロセッサはTSMCが製造しているし、そもそも元になっているアーキテクチャはarmである。Mac OSだって、ベースはUNIXだ(なんかマニアックになってきた)
ブランドを作っているのは、その会社で働いている一人ひとりの人間で、それぞれに人生がある。
その人が転職すれば、元ソニーで、現在任天堂社員、みたいなことになる。
ブランドの中の人は移ろい変わっていくのだから、こだわってもあんまり意味ないんだよね。
純正品の中の部品を作っているのは、たくさんの違う会社だ。それを寄せ集めて組み立てて純正という名前を付けているだけ。
人間の世界はとっても複雑である。人が集まって、じゃあこの集まりを〇〇と名付けよう! ってやってしまうと集団が生まれる。
集団が生まれちゃうと、他の集団との対立が生まれたり、中の人、外部の人みたいな関係性が生まれてしまう。
そうなると、人類はいろんな問題を抱えるようになってしまうのですよ。集団であるメリットもたくさんあるんだけれど、デメリットもあるというね
(そもそもASDの話をしていたんじゃなかったっけ?)
だいぶ飛躍してしまいましたが、今日はこのへんで。
(もう、こだわってもあんまり意味ないことってたくさんある)

関 宏貴

長野県生まれ。ベストライフなんば利用者。 地球を冒険してから、京大、Appleなどで働き、ベストライフに辿り着く。 うつ病、強迫性障害、てんかん、ASD、HSP。ささやかでシンプルな生活を好む。 ベストライフで書いた著作に「HSPさんが自分の魅力に気づくための15のヒント」がある。