
現代は、まるで情報の大洪水の中にいるようだ。昔から情報自体は無数に存在していたが、それらは誰の目にも触れられる形ではなかった。発信できるのは、テレビや新聞、書籍、雑誌、CDなど、ごく限られた媒体に限られていた。
それが今ではインターネットの普及によって可視化され、個人が容易に発信できる時代になった。さらに生成AIの登場で、その速度と量は飛躍的に増えている。イラストや写真、動画を簡単に作成・合成でき、SNS上には玉石混交のコンテンツが絶え間なく流れ込んでくる。
とはいえ、不思議なもので、「これはAI画像だな」となんとなく分かることも多い。それは人間の作品を単純に置き換えるというより、「AIアート」という新たなジャンルが切り開かれた、と考えるほうが自然だ。
最近、息子が漫画『ダンダダン』に夢中になっていて、家に単行本が並んでいる。試しに一緒に読んでみたのだが、これはとてもじゃないけれど、まだAIで代替できるものではないと感じた。
ページをめくるごとに、描き込みやアングルの凄さ、突飛なアイデア、そして一本の線に込められた想いが伝わってくる。人間は不思議なもので、線に感情や熱を宿すことができる。同じ構図を真似て描こうとしても、まったく同じ味にはならない。
生成AIはペンの代わりに言葉(プロンプト)で絵を描く。それもまた面白い方法だと思う。だが、結局のところ理想とするイメージが頭に浮かんでいなければ、AIに正しく説明することはできない。人間の想像力や妄想力は、まだまだ欠かせない。
むしろこれからは、人間の想像力とAIの生成力をどう組み合わせるかが問われる時代になるだろう。AIが得意なのは大量生成やパターン展開。人間が得意なのは感情や文脈の付与、そして「意味の選別」だ。情報の海において何を拾い、何を捨てるか。その選択の基準を持つことこそが、人間の価値になる。
漫画も小説も音楽も、これからはAIが素材を生み、人間がそれを編集・再構築していくような形が増えるかもしれない。だが、その「編集の眼」を育てるには、実際に描く・書く・作るという経験が不可欠だ。自分で苦労して一本の線を引いたことがある人ほど、他者の線の重みを理解できる。
情報過多の中で生きる私たちは、受け身でいるだけでは簡単に流されてしまう。だからこそ、発信者としての視点を持つことが重要だ。AI時代のクリエイティビティは、単なる生産ではなく、選び、組み合わせ、意味を与えることにある。広がる情報の中から、自分だけの物語をすくい上げる力。それが、人間が持ち続けるべき最大のスキルだと思う。

関 宏貴

長野県生まれ。ベストライフなんば利用者。 地球を冒険してから、京大、Appleなどで働き、ベストライフに辿り着く。 うつ病、強迫性障害、てんかん、ASD、HSP。ささやかでシンプルな生活を好む。 ベストライフで書いた著作に「HSPさんが自分の魅力に気づくための15のヒント」がある。